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遠くに住む長女と両親の闘病日記
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遠くにすむ父親の闘病経過を記録する為。往復の乗り物の中で考えを整理する為。など物忘れが激しくなってきた中年長女の携帯日記。
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上京

2007/11/28 18:59
季節もいいので、2週間の入院後すぐに上京する予定だったが、5週間になり体力も落ちたので、もう上京はあきらめたかと思っていた。

しかし、両親共に乗り気である。

10月の入院中、隣のベッドに入院してきた84歳の老人が車椅子で有馬温泉に出かけたという話を聞いた。
そうだね、車椅子でもいいじゃない、と話していたのだ。

できるだけ、孫達と一緒の時間を持てる日程を組み、連休前に上京。
当初、車椅子に否定的だった父に、「絶対」と飛行機の車椅子サポートを予約させる。
こちらも車椅子持参で羽田まで迎えに出る。
車椅子で、品川まで戻る途中、何回かサラリーマンの人達の親切に触れる。
車椅子と共に、こちらで発熱した場合にかかる病院で見せる経過報告書も友人医師に送ってもらって用意しておいた。

滞在中は、無理のない日程で父の遠出は1日のみ。
近くにお昼を食べに出かける時も車椅子を持参し、疲れたらすぐ座れるように配慮する。

夜は、食事制限に気を使いつつ、賑やかに食卓を囲んだ。
日に日に、父の食欲が増す。
帰る日には歩き方までしっかりする。

春の上京目的は、母の看病疲れのストレス解消と父に前向きな気持ちを持ってもらうのと、まるっきり病人の気持ちになって母にわがままを言わないようにと願っての事だった。
しかし、その後病状の変化もあり、目的はどうであれ、父は元気になり、母も少しはストレスを発散できただろう。

見送り時には、また来れるのではないか?と思ってしまった。
本当にそうなら いい


車椅子は区の社会福祉協議会で無料で貸してくれた。
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6月から11月まで

2007/11/28 18:35
5月2日に退院後、15日に定期外来に行くと、胆汁もれで即日入院となった。
この時のショックは大きかったようだ。
そのまま絶食となり、さらに体力も落ち、ツライ日々となった。
1週間で絶食が終わった後、ついでにということかエタノールを4回。

結局6月12日までの1ヶ月弱の入院となった。
外来のつもりで出かけてそのまま入院となるのは大きなショックだったようだ。
それはそうだろう。

その後6月18日から1週間胃の内視鏡検査等の入院。

7月8月暑い夏は病院ではなく自宅で過ごす。
暑い日を除き、父は体力づくりに犬と散歩をする毎日。

9月4日外来で次の治療の入院予約。10月5日入院。
予約入院というのは1ヶ月はかかるもののようだ。
素人目にはこの待っている1ヶ月でさらに悪化するのではないかと不安になる。

今回の入院治療は肝塞栓術で2週間の予定だった。
ところが、患者としては想定外、医療者達には想定内(?)の肝膿瘍とういう展開で結局5週間の入院となった。

治療に伴う発熱と説明を受けていた患者としては、我慢するばかりだったが、実は肝膿瘍という結構重篤な状態になっていたらしい。

熱が下がらないまま小さくなる父をみて、叔母が娘達を帰省させれば元気もでるのではないかと母に勧める。
その矢先、個室転室となり、これは何?と。母もパニック近くなる。

私達姉妹は各々実家から遠く離れた地に、中学生や高校生を抱えて住んでいる。
長女である私は無理をすれば……、しかし丁度タイミング悪く夫が海外出張中だった。
急いで駆けつけるレベルなのか  悩む。

遠くの老親をサポートする子供たちの懐事情は厳しく、私は片道約3万円の交通費だ。
もちろん、親の生き死にに関わる事に3万円は引き換えられない。
往復6万円の交通費+αを考えると、軽い病状ならおいそれと帰省できない。

素人には病状がどのレベルなのか、なかなかわからない。
母が過剰にパニックになっているのか、父が絶食から気力体力、落ちているのか……

父の頑張りを祈るばかりだった。


父の頑張り、母のサポート、医師達の治療、神仏のご加護などなどのおかげで回復に向かう。
11月9日退院
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上京への意欲

2007/05/02 17:16
胆汁と肺の事がなければ、3月初旬には退院して体力をつけ、下の子の入学式に来てもらう予定だった。
これは、入学式に出るという目標のために頑張ってという私達の願いだった。
しかし、胆汁、肺、絶食と続き、外泊できるようになっても入学式に上京しようという意欲はうせていた。
ガンの先輩の励ましの電話以降意欲的になり、是非学校に行ってみたい、と言いはじめた。学校は、千代田区にあり千鳥ケ淵や靖国神社など歴史好きの父には散歩に丁度のロケーションだ。
もちろん、ガンの再発は覚悟しているが、ぜひ体力のあるうちに来て欲しい。

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今回は長い入院だった

2007/05/02 16:55
2月9日に地元K医大に入院。本日5月2日 やっと退院だ。
この間いろんな治療をした。

2月14日 冠動脈塞栓術 血管が細すぎて塞栓できず。ただ、薬剤を流した効果は少しはあるだろう。動脈を固定する治療法は腰痛持ちの父には大変つらい治療だ。

2月27日 3月2日 3月5日 3月9日 エタノール注入法 今までで一番負担の少ない治療法。効果あり、も発熱続く。
胆汁漏れと判明、昨年同様管を入れて、体外に出すも効果なく、
3月15日またもや鼻からチューブを通す。その夜、麻酔の影響と思われる異常行動。 夜間、鼻の管や点滴をはずし、(点滴のチューブはハサミで切っていたらしい)廊下をトイレと反対の方向へ歩いているところを看護士と当直医が発見。トイレに行こうとしたらしいが、本人の記憶はない。
翌日、話を聞いた母は動転。パニックになり、看護体勢に文句をつけようとするが、なだめる。2時間おきの見回りは充分ではないか、その間が心配なら家族が付き添うしかないと。
父は、医師や看護師に謝ったようだが、何故謝る必要があるのか?疑問だ。
そういう事は現場では良くある事らしいし、治療で苦しい思いをしたのは患者本人で、それを無意識に抜いたからと言って謝るべきか? 「べき」ということは無いのだろうけど、謝った方が医療者と患者の関係がうまくいくということか?それは、医療者が上で患者が下ということか? 腑に落ちない。 日本における人間関係だといえばそうかもしれないが、そういう場合患者側が謝らないでいい、そういう人間関係が医療現場には必要に思える。

再度の鼻のチューブ挿入はなし、肝臓に直接チューブを落とし込む(?)方法になる。

そうこうしている間に、CTで肺の影発見される。
3月13日PETで肺をさらに調べる。
3〜4日で結果が分るとの話に、一日千秋の思いで待つが、なかなか結果はでない。鼻のチューブ入れの前日からの絶食で体力がかなり衰える。
心身一体を体現してくれるかのように、気力も落ちている。
「胆汁が止まれば、肺は治療せずに退院させて欲しい。」と母に訴える。
もう、このまま家に帰れないのではと不安になっているようだ。

3月23日 やっと食事。
食事が取れるようになってから、心身ともに元気を回復する。
3月29日 肺器官鏡検査
取らなくてはいけない肺がんかどうかの詳査。
検査がつらいかもしれないと、医師達が心配してくれたが、それ程のことも無かった、と父のメールは明るい。

肺がんは小さく、場所もとりやすい位置なので、内視鏡が可能かもしれないとの話に少し気が楽になったようだ。
翌日、3週間ぶりの外泊許可がでた。
春休みだったが、すぐに行けるように予定をいれずにいた下の子が飛行機で遊びに行く。
空港まで、父が運転したとの報告。久しぶりの院外生活では、なにもかも嬉しいにちがいない。病院に見舞いに来てもらうのではない、自分が運転して迎えに行くのだ。
犬の散歩、免許更新の為の外出、買い物などなど家にいる間、母(妻)と孫と犬と一緒の時間を過ごし、大変気分よくなる。気持ちが体を引き上げるのだ。

その後、肺器官鏡の結果説明がなかなかなく、(外科と内科との遠慮のしあいか?)2週間続けて、週末外泊する。

外泊で体力を回復し、肺の手術は受ける気になったようだが、日にちが決定しない。
またもや、落ち込む。病院ですごす毎日は、院外とは違いやはり一日千秋だ。
手術が4月25日と決まったと連絡があった。

4月24日 私が帰省する。
病院に着くと、予想外の人から励ましの電話があったと顔に元気がでている。
病気とは聞いていた東京の知人だった。大腸がん、肝臓がん、肺がんの治療で週3回通院しているが、さらに週1ジムに通って体力つけて、仕事(自営)もしているとの事。
病人には、より病人の励ましが一番だ。
外科医の手術の説明、麻酔医の説明、看護師の処置などなどあり、忙しいが電話の効果か頑張っている。
肺気腫があり、長年の喫煙の結果、肺はスカスカだから、内視鏡ではなく開胸で下葉を3分の1切除するとの事。

この電話以後、大変前向きになり、手術も順調に終わり、目覚しい回復で本日退院と1時間前に母から電話があった。

手術後1週間。
長い入院だったが、この五月晴れの日に退院できて気分も晴れ晴れだろう。
退院後も体力をつける、と父から今、メールが来た。


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地元K医大での冠動脈塞栓術

2007/02/14 20:49
CT画像の結果、K大では薬を変えて再トライしたいとのこと。
しかし、父はもう地元がいいという。
確かに、心細かっただろうし、付き添って行っていた母の負担もかなりだ。
地元、K医大での冠動脈塞栓術を選択する。
再発しているガンの大きくなり具合が早いので、早い治療になった。
地元では、肝臓がんを診る医師が少ないので、自然と大学病院に患者は集中してしまう。
医療格差は確実にあるのだ。
幸い私達は、K大まで行きトライする事ができたので、気持ちの一区切りはつく。
しかし、ツテがなく、地域格差を感じつつ地元の治療に甘んじる患者もいるのだろう。
ガン基本法はどうなってるのだろう?
もちろん、K大オリジナル治療が自費だったのも私達にはツライのは確か。
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効果なし

2007/02/14 20:41
K大オリジナル治療は残念ながら効果なかった。自費治療だったので、2人で旅行したと思うことにすると。高く痛くツライ旅行だ。
1月24日に退院し地元に帰った。
白血球が高くなるのを待って、かねてからご近所の方から申し出のあった子犬を貰い受ける。
両親共に、気分転換が図れ二人で犬用品の買い物にでかけたり、家の中での楽しみも増えたようだ。
こういうことが、身体には大きな影響を持つのではないかと思う。
父は、携帯で子犬の写真を送ってくれる。
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オリジナル治療

2007/01/15 19:44
5日にK大オリジナル治療を受けた。
私も4日には行った。幸い冬休み中で子供達を朝起こす必要がなかったのが行きやすかった。

今回の治療の危険性は、手術中のアクシデントのみ。
午前中に麻酔科によるカテーテル挿入などの準備。
手術は午後から始まり、父は夕方には病室に戻ってきたが、全身麻酔から覚めてはいるものの、疲労からうウトウトしている。
入れ替わり立ち代り入って来る医師達はみな一様に「吐き気はないですか?」と聞くが、父は長時間固定された体勢の為の腰の痛みの方が強く耐え難いようだ。

通常の10倍の抗がん剤を注入している為、翌日も吐き気を訊ねられる。
制吐剤の点滴をしている為吐き気はなく、父は快調だ。

翌々日は点滴がはずれたせいか、吐き気はないが食欲がおちる。
予定通りの状態。
術後、翌日〜翌々日から肝臓機能が落ちる為、食欲がなくなるが、数日で回復する。
そして、1週間から10日後に白血球が低下する予定。その白血球の回復後、晴れて退院となる予定。
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病院で新年

2007/01/03 10:12
28日午後からは、検査等ないので、一時帰省してもいいとの事。
父にとっては、本格的に治療も始まっていないのに、帰省するということは=寄り道をすることなのだ。
まあ、28日にバスに乗り夜家についても、また3日早朝にはバスで戻るという事が煩わしいとも言っている。
母は前回と同じく同行しているので、二人揃っているのだからわざわざ帰省する必要もないのはないのだ。
1日には、近くの神社に2人で初詣に出かけての実況中継携帯電話がかかってきた。
地元の比ではない位の人出に驚いている。参拝殿まではたどり着けそうにないし、体に障るといけないから、途中で引き返し喫茶店を探しながらターミナル駅まで散歩するとの事。
昨年から引き続き、予想もしていなかった経験をする年となり始めているようだ。
すべて、いい勉強と思い前向きに取り込んでいって欲しい。
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再びK大へ

2006/12/25 09:52
今、両親は高速バスの車中でどんな会話をしてるのか。
それとも黙りこくっているのか。
朝早くだったから寝てるか。
4時間という中途半端なエリアだからか、JRバスが運行してないので、地方バス会社同士の共同運行の快適とは言い難いバスだ。
JRを使っても4時間かかり、加えて新幹線に乗り換える際の駅の階段が地方の人間には辛いらしい。
同じ時間かかるなら、乗り換えなしのバスを選択するのは理解できる。
今回は5週間待ちだった。この期間の悪化がないように願うのみだ。
母と私は団体は違えど、敬謙な仏教徒だ。でも、今日はキリストのご加護も頂きたい。
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再治療はK大学で

2006/12/13 12:51
再治療はK大学オリジナル治療と決定。
入院待ちが3週間続いている。
連絡待ってるだけで、胃痛になりそうと、とは母の言。
確かに。しかし、K大学までの道があるだけ幸せと考えよう。

しかし、病気・病院関連のTV番組が多いなぁ。
昨夜も、フジTVで放送されていたけど、数件の病院は友人が通院した事があり情報を知っていた。私は、病院に関する情報が一般人より多いのか?
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再治療

2006/11/16 16:32
地元に戻り胆汁も止まり、安心した初秋を送っていた両親。
10月初めの血液検査は良好だったが、10月27日のCT検査でひっかかった。
切除残りの方にガンが見られるようだ。CT画像を持参してK大学病院で受診。
教授は、1個なら切除、2個以上ならK大学病院オリジナル治療を勧める。
地元K医大に戻って造影剤検査をしてくるようにとの事。地元の方がラクだろうとの配慮は有難い。
昨日K医大入院、本日造影剤検査
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転院

2006/08/10 17:34
朝晩の胆汁管の消毒のみの毎日に両親共にうんざりしていたので、7月末に家族で見舞いに行き、気分転換を試みる。病院の近県に義母が住んでいる事もあり、数年ぶりの一家揃っての帰省もでき、義母も私達と一緒に見舞うチャンスもあり、一挙○得の夏休みとなった。

病院側も1日1回の消毒でよくなれば通院でかまわないので、地元に帰せるとのこと。
しかし、まだ1日2回なので転院もできない。入院中には、先が見えない状況程辛いものはない。
消毒のみなので、母も一度は地元に帰りたいのだが、父が心細さを訴える。
父の言いようも色々で、母も腹を立てたり、可哀相がったり。若くに結婚し、自営業の為出張も転勤もなく50年弱一緒なのだ。
その中で、母が、借りているマンションのドアに手を挟み負傷。
これも、地元から離れての生活の限界のあらわれか?

私達が帰京してから、数日後に転院の話が。
病院側もお盆前に帰れるように配慮してくれたようで、14日に退院し、16日に地元K医大に転院。
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胆汁変化

2006/07/20 16:59
3連休を利用して息子が見舞いに行った。
波動水を持たせた。波動水は10年程前に知った横浜のクリニックで処方してもらえる。
蒸留水に患者の情報を転写するものだが、父が行けないので私が行った。
代理が可能なのは、娘か成人前の息子。夫婦は勿論だめだ、血縁関係がないから。
私が、父の病状を話すことで、父から私への命のリレーの情報が伝わるのだ。
それを持参する息子にももちろん私をへて祖父から孫への大きなプレゼントだ。
医師は「胆汁は出る必要があるから出てるんですよ」とも。私はすごく納得できた。両親はこのごろ、「まだ出てる、まだ出てる」という状況だったから、その事も伝えた。

息子が波動水を持って行って、翌日発熱し、さらにその翌日から胆汁の大きな変かがあった。
それまでは、緑赤色で少し出ていたのが、オレンジ色になり大量に出るようになったと、母から驚きの電話。変化を何でもかんでも悪い方に考えないで、と伝える。
私は、素人判断だが、出るべきものがつまっていたのが一気に出たのでは?と答えておいた。
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胆汁

2006/07/13 12:38
相変わらず胆汁が止まらない。
横腹にさしてる管からの胆汁が止まらないといけないそうだ。
鼻から管を通して上に吸い上げる処置を3日月曜にするも効果なく、両親ともにうんざりな毎日を過ごしているようだ。
入院中は、こういう時が1番辛い。
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胆汁

2006/07/02 14:10
胆汁が止まらないので、足踏み状態です。
医師達は、鼻から管を通して胆石と胆汁を共に取る処置を勧めてくれてはいるが、父が気乗りせず数日過ぎてしまっている。
その処置をすればまた1週間入院が長引くのと、鼻に管を通したままの状態が数日続くのがイヤなのだ。明日は胆汁がへるかもしれない、という「明日は、明日は」という期待に気が付けば数日過ぎていて、これなら初めにしてればよかった、という事になりかねない。
入院1ヵ月になり、父は病人のわがままさが板に付いてきてしまっている。
教授は、母が付き添わずに帰る事をしきりに勧めてくれているのだが…
父の機嫌が悪く母は帰れない。母のストレスがどこまでもつか心配だ。
地元なら、なかったか少なかった心配だから、遠い地での治療を勧めた事がいけなかったかと後悔しかけたが、いや、地元での治療ならもうベッドに起き上がる事もできなかったかもしれないのだから。
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JRバス ドリーム号

2006/06/27 14:40
週末、娘を連れて見舞に行った。
今回は夜行バスを使った。
朝1の飛行機or新幹線に乗る為には最寄駅5:30発に乗らなければならない。そして到着はどの交通を使っても同時刻。
前々回、朝1の飛行機を利用したが、睡眠時間が少なくなってしまったし、新幹線では眠れないタイプなので、今回は金曜の夜行バスを利用する事にした。
夜行バスも調べたら数社あり、女性専用車や座席が横に3列のもの、トイレ付き等が3800円〜5100円と格安だ。しかし、金曜の夜だった為それらは満席で、8690円のせいか少し空席があったJRバスにした。
バスは2階建てで1、2階合わせて定員は38人。トイレ洗面付きで禁煙。椅子は背もたれが150度位倒れ、膝下もレッグレストなるものがあり、毛布、スリッパもついていた。私達は2階の階段後ろだったので自分達の前に座席がなく気兼ねなく、ゴロッと寝ながら行った。
乗り慣れた乗客が多かったようで、静かな発車のまま消灯、8時到着。
次回もJRバスにしようとおもったが、父の術後の経過も良く、私達が帰った翌月曜には8割抜糸したそうだ。
バスに乗る間もなく退院か。一安心。
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安静

2006/06/21 23:04
月曜に一般病室に戻って、自分で何度もトイレに行ったらしい。尿の管を抜いた事もあり、残尿感(?)があったらしい。夜間は10回もトイレに立ったせいか、翌火曜は低血圧、不整脈となり呼吸器医師まで来て慌てたとの事。
回復を焦らないように何度も言ったのに、県民性か競争のような意気込みなので困る。
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一般病室に戻る

2006/06/19 22:10
今日の午前中に一般病室に戻った、と連絡あり。はい〜ぃ?こんなに早くですか?
午後には歩いてトイレに行ってるとも。
無理せず、ゆっくりと着実に、と思うがそれ以上に医学の進歩には驚ろかされる。
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手術翌日

2006/06/17 21:26
朝ICUに行ったら、父はしっかりした意識の下、一般病室に戻る日を算段していた。
小さくだが鼻を自分でかんでいた。痛いだろうに。
午後にはベッドを起こすらしい。はぁ〜医学は何て進歩しているんだろう。
午後、地方から来た妹夫婦と実家近くの伯母が帰るのでステーション駅まで母も一緒に出た。
皆を見送った後、偶然地下ショッピング街に行き当たった。母がTシャツを1枚購入。母は元々ショッピングが好きなのだが、父が入院してからは病院周辺しか出歩いていないので、いいストレス解消ができた。
私は20時台の新幹線だった為、19時過ぎに再びICUに行くと、父はまだいるのかと嬉しそうだった。
このまま、もう2〜3日いたいような気分になったが、明日は娘の試合付き添いなので一旦帰る事にする。娘であり母なのだ。
来週、実家の町に住む従姉が見舞に来るそうだから、彼女に会いたいからと、また行く事にしよう。
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手術当日

2006/06/16 21:24
8:30部屋出
手術自体の所要予定時間は10時間
開腹してみたら予想より肝臓が柔らかだった為、切り取り方を変更、手術時間も短くてすんだ。
術後の説明で切り取った肝臓を見た。かなりの量だった。肝臓全体の7割。
これで7割だと肝臓全体はどれだけ大きいのだろう。
ICUの入り方を朝、聞いていたが、何十にもドアがあって行き着くまでに迷いそうだ。そうだろうなぁ、手術部の中に11も手術室があるようだ。これでは名前バンドは必要だ。
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